日本の映画史
日本の映画は、世界の流れを受けて始まり、独自の発展を遂げてきました。
■日本で映画が始まった時代
日本で初めて映画が公開されたのは、明治時代(明治29年、1896年)です。
・最初の公開
1896年(明治29年)11月に、トーマス・エジソンの**「キネトスコープ」**が神戸の神港倶楽部で上映されたのが、日本での映画初公開とされています。
スクリーンに投影する「シネマトグラフ」(リュミエール兄弟の発明)による本格的な興行は、翌1897年(明治30年)2月に大阪の南地演舞場で行われたのが最初とされています。
・初期の形態
当時は「活動写真」と呼ばれ、セリフや解説はスクリーン横に立つ「活動弁士(活弁)」と呼ばれる専門家が担当する「無声映画(サイレント映画)」の時代でした。
映画館も、当初は寄席や見世物小屋の一角で上映されていましたが、1903年(明治36年)には浅草に最初の本格的な映画専門館である「浅草電気館」が誕生しました。
●一般で映画を見るようになった時期
一般大衆に映画が最も広く深く普及し、「大衆娯楽の王様」として黄金時代を迎えたのは、主に昭和初期から戦後復興期を経て、昭和30年代(1950年代半ば)にかけてです。
・1910年代後半〜大正時代
国産映画の量産が始まり、尾上松之助主演の旧劇(時代劇)などが大ヒットし、映画が人気娯楽の一つとして定着し始めます。
・最盛期(1950年代半ば〜後半)
特に1958年(昭和33年)には、映画館の入場者数が年間11億人超を記録し、これは日本の映画史上最高の数字です。
この時期、全国の映画館数も7,000館を超え、毎週多くの新作が封切られていました。戦後の復興期にあって、映画は国民にとって最大の娯楽となりました。
●日本映画の歴史における重要な「きっかけ」
日本の映画史には、大きな転換点となった重要な「きっかけ」がいくつかあります。
1.映画産業の確立(1912年)
吉沢商店など4社が合併して「日本活動写真株式会社(日活)」が設立されました。
これにより、映画の「製作」「配給」「興行」を一貫して行う大手企業体制が始まり、映画は本格的に産業として確立しました。
2.トーキー(発声映画)への移行(昭和初期)
海外で技術が発展し、日本でも1930年代初頭からトーキー映画(音の出る映画)が製作され始めました。
これにより、映像だけでなく音響も加わり表現力が格段に向上した一方、無声映画時代に活躍した「弁士」は姿を消すことになりました。
3.テレビの普及(1960年代)
1950年代末からテレビが急速に普及し始めたことが、映画産業に大きな影響を与えました。
それまで映画館で見ていたようなホームドラマなどが家庭のテレビで見られるようになり、映画の入場者数は急激に減少していきます。これを受けて、映画はテレビではできないような大作、アクション、任侠物、ピンク映画など、より個性の強い作品へと変化を余儀なくされました。